自己紹介

出身地

 
 昭和34年、長崎県西彼杵郡外海町(現:長崎市新牧野町)に生まれました。現在、世界遺産登録されている「外海地区」が故郷だと誇りに思っています。
 
 世界遺産登録されたら、多くの観光客が押し寄せ賑わうこと間違いない。と期待していたのですが、期待は大きく外れました。
 地元では「出津教会:しつきょうかい」が最大の観光資源と考え、教会周辺の混雑を避けるために、大駐車場を作るなどして来客を待ちましたが、範囲が広いことや建物自体や「モノ」が遺産として認められたのではなかったということも大きかったのでしょう。
 
 月日がたっても、一向に客足は伸びず、そうこうしていたらコロナウイルスによるパンデミックの追い打ちで、さらに意気消沈。やっとコロナ過の騒ぎが落ち着きを見せてきたようですので、ここらで一気にV字回復させたいですね。円安で海外のお客様にとっては好条件、自治体も住民もみなで協力して明るい未来を目指したいと、心に誓っています。
 

 

  きっと、神様も助けてくれるはずです。

 


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近況

 
 2023年、当初金融機関と契約していた時期が少し遅れましたが、何とか住宅ローン返済を終えました。長かった~・・・・・。
 
 さ~、今からどうする?と思案していたところ、忘れもしません。節分過ぎて休み明けの出勤日。上司に呼び出され指導を受けることになったのですが、内容を聞くとごく普通の事。
 
なぜ?何言ってるの?と言わんばかりの内容、こちらとしてもあきれてしまい、笑うほどでした。その日は、特に不満もなく淡々と仕事をこなし帰宅。しかし、自分の中に今年で前期高齢者に仲間入り。体力的なことを考えてこれから先どうするのがいいか?と思案していたこともあり、この辺が引き際か。と感じ退職を決断。
 
会社側に伝えると、待ってましたと言わんばかりの早わざで、すんなり退社。こちらも驚くくらいのスピード。
せめて良くしてくれた仲間にお礼の挨拶くらいはしたかったのにできなかったことだけが心残り。これも運命、諦めましょ!
 

AIなど科学の進歩は凄まじいものがあり、今年に入って様々なものの整理で、使用しないで保持していた各種契約の解約を進めたのですが、相手はすべてAIで作った音声と思われる声で、数件処理したのですが、オペレーターは「人」ではなかった。そのように、電話のオペレータなど人が対応する時代はすでに無い。AIがどこまで人の仕事を奪うのか。職場によっては全オペレータがAIと言う時代は目前だと思います。
 
 後期高齢者になる前に、自分の体が動く間に何かできる。できることを限界までやってみる。
そのためには、非正規雇用のパート社員を続けることは無理です。休みの日を気にして予定を立てる、時間を気にして一日の行動を制限する。それが無いのが何よりの快感。
 
 
  生成AIで作った画像です。ド素人にもできる時代です。

 


故郷:外海地区について

 当サイト運営者の生まれ育った「外海:そとめ」という地区について知っていただきたいと思います。
 
 生まれた時点では、外海町という地名でしたが現在は地図上では「外海」と言う地名は消えています。
この地区は、長崎市の外海地区と呼ばれており、以前の○○郷が町名に変わっています。私の出生地は外海町牧野郷でしたが、現在の地名は「長崎市新牧野町:ナガサキシ シンマキノマチ」となり、しっくりきませんが受け入れるしかありません。
 
 「隠れキリシタンの里」として知られる歴史的な集落であり、2000年ころから機運が高まり、紆余曲折はありましたが熊本県と長崎県に広がる地域の「潜伏キリシタン関連遺産」として、外海地区も関連遺産の登録地に含まれています。
 

 「隠れキリシタン」と「潜伏キリシタン」と言う、二つの名称がありますが、世界遺産登録にあたり「かくれ」ではなく「せんぷく」にするのが妥当とのことらしく、地元ではだれも潜伏キリシタンとは言っていなかったのが事実。地元民である私もなぜ「KAKURE」が普通に登録されないのか、摩訶不思議です。
 
 色々と読みましたら、江戸時代の禁教令が布告されたときに、密かに信仰を続けたキリスト教徒(キリシタン)信者。明治に入って禁教令が解かれたときに強制改宗し仏教を信仰していると見せかけながらもキリスト教を信仰し続け、カトリック教会には戻らない信者を「潜伏キリシタン」。
 
 一方、「潜伏キリシタン」の信者で、ごく小さな集落単位で密かに「オラッショ」と呼ばれる祈祷を唱えて祈りを続けて、信仰を守った。
どちらも同じ人物。なぜ分けるの?と思いますが、「世界遺産登録」のために必要だったと割り切るしかありません。
地元で代々くらす人々は、人がどの宗教であれ差別はありません。
 
 現在の私は「カトリック教徒」ですが、生家に帰れば仏壇があり、仏教徒として生まれ育ち、結婚を機に改宗したという次第です。
また、母の実家は仏教でもなく神社を崇拝する「神道」の生まれ。
日本人です。色々な宗教が入り混じっても受け入れ、信じて崇拝する。それでいいのではないでしょうか?